取り残されるものたち
1.44MBの2HDフロッピーディスクを使っていたのが十数年前。3.5インチ大の手のひらサイズの面積にMP3の音楽ファイルが1分から2分足らずしか入らないとは、今となっては信じられない。
……間違えた。2000年代半ばだと、3x2センチほどのサイズに512MBとか入ってた。当時近所で、128MBのSDカードを1万円近くの値段で買った事を思い出す。
しかし、それと平行してまだフロッピーディスクは現役だったように記憶している。しかし、それも数年でライタブルなCDドライブが広まりきり、ブランクCDのスピンドルもお手軽な値段となった頃合い、丁度データ用のDVDメディアが売り出されるぐらいで一気に駆逐された気がする。
WindowsOSのOEM版を買ったときに付いてくるおまけとしての役割も果ててしまった。 もはや、デバイスが放つカコン、コンと響くヘッドが動く音を聞くことも(普通は)あるまい……
1x1センチ四方に128GB、十年足らずで1000倍の記憶容量というおもわず笑ってしまうであろうムーアの法則がはびこっている今となっては、昔話もいいとこではある。
だが、使った経験のある人間からすると感慨深い、えもいわれぬものがある。
クラシックカーと似たようなジャンルにレガシーデバイスとかあるんかな。 そういえば、アニメ攻殻機動隊Stand Alone Complexの第3話で登場人物のバトーが言っていたっけ。
いつの時代にも、金じゃ買えない旧式デバイスへの熱きノスタルジーを捨てきれない輩がいるってことさ
バトー in 攻殻機動隊SAC 第3話
しかし、車とは違って、系の全体的な高性能化に引っ張られる形で機能的にはほぼ死んでいるといっても過言で無いわけだが。
閑話休題。
こうした話を何かの弾みにふと思い出してしまうと、昔は~とか、俺らの若いころは~とか、ついつい言ってしまう。 見聞の狭い若人からすると、そんな古い話は割とどうでもいい、いや見聞が広くても同じか。 いつの時代もおっさんのする昔話は疎まれるものである。 もしかすると、主観が入らない昔話であれば疎まれないのかもしれない。
かく言う私もなるべくそういう話を避けようと努力するのだが、ついつい喋ってしまう。
いやこれは、俺が古いものに興味があるからー歴史が好きなんです、いやこれは俺が懐古主義だから、いやこれは俺が懐古厨だから……とかなんとかいって予防線を張るのはもちろんであるが。
正直な話、こうした話をしているとき、その相手の顔は直視していない。多分ビミョーな表情をしているに違いないからである。
こうした周りへ与える影響を理解している、しているにしても、話さずには居れない。なぜならば昔話は話してるおっさんの立脚点であり血であり肉であるからである。 そして、人は承認欲求を多かれ少なかれ持つものであるからして、やはりその土台たる過去エピソードをふるまわずには要られない。(と私は思う)
年をとるにつれて、記憶を蓄積することが難しくなり、バネが仕込まれたディッシュスタックよろしくポップされつづけた記憶容器の残り物は、もはや過去の印象的な長期記憶である昔話のみ。
つまり、年取るとみんなそうなっちゃうんだよなー。 それを嫌うのも、一過性の流行り病みたいなもん……うん、暴論だわこれ。
と、こんなことを綴ってみたが、これは我々の世代だけでないだろう。どの年代の人でも1つや2つぐらい似たエピソードがあるんではなかろうか。
詰まるところ、みな老害となりうる、のではなかろーか。
バトーさんも老害と。
昔はフロッピーがあってのぉ。
なにそれ?カエル?
よみびとしらず