厳しい人たち
実生活において、味方に裏切られるという話は普通に生活しているぶんにはまぁ無い、味方の味方は敵とかフィクションでしょ、って思ってたんだけど、結局それって恵まれてんだよね。
同じ経験しているからって、同情的だからって、他人が同じ苦労していたら、それを許容するかって言うとそんな甘い事はそうそうないよね。 私もむしろ同じテリトリーの人については、懐古主義的発想で私の若いころは~とか、なんだ同じレベルじゃないのか、みたいな上から目線の言動をしてしまうことが多かったりする(これは目下直したいことベスト1である)。苦労が明らかに私的経験を上回っていれば、謙虚そうな態度を取るが、それを自発的に知ろうとしないことが多い。
おっと、何というクズっぷりのカミングアウトだろうか。
詰まるところ、同じ経験をした人たちは、むしろ(その経験において)同情的でないことが多いと。 経験が評価を鈍らせる、みたいなことは内省からしても確かになーって思うんだけど。 一方で次のような話もある。
反競争的な教育を受けた人たちは、利他性が低く、協力に否定的で、互恵的ではないがやられたらやり返すという価値観を持つ傾向が高く、再配分政策にも否定的な可能性が高い。おそらく教育が意図したことと全く逆の結果になっているのではないだろうか。
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順位付けされない環境だと、競争意識が弱いため努力に対する比重の置き方が弱く、結果論に終始するいわゆる運ゲー思考に陥るというハナシは個人的にすんなりくる。目的意識を持つためには順位付けが有効なわけである。そして、その延長から導かれた結論が上記引用である。
極端に言えば、同じ経験をした人たちは互いに非同情的、競争環境に置かれた人たちは同情的だと言うわけだが、(ある種の努力によって得た)経験によって過信をする人たちと、努力の比重が大きいだろう競争環境にいる人たちはどちらも同じ論理の元にあるように思える。2つの前提は似ているようで、全く異なる結論となっていて、ちょっと不思議だなと思った次第。人間の思考パターンって意外と利己・利他でバランス取れてるのかもしれない。たとえば、経験則的なことわざには大体反意語があるし。しかし、そう考えると思いやり要素ってのは割と特異なのかね、なんか打ち消してるし………そうは思いたくないんだけど(もちろん人間にはなにかしら他の思考法則とかあって、互恵性を補ってるとは思うが)。
うーん、この違和感を冷静に考えると、若干ズレたベクトルの話だったりするんだよねこれ。
そもそも、一元的にぶった切る事自体が割と無茶だし。
まーなんだ、厳しい人って多いよね。